すきなやり方は、正しくなくても良い
2014年の3月初旬。実家で畑を始めた。
土地はもともと田んぼで、平らだった。
ここをスコップで掘り、畝をつくるところから畑のスタートになる。
すきなやり方は効率的じゃなくてもいい
畝をつくるとき、すきなものを作ろうと思っていた。
ジャガイモとか、サツマイモとか。
自分で選ぶことは、畑に限らずたのしい気持ちになる。
効率的じゃないのも良かった。
機械をつかわないで、スコップだけで畝を作る。
最適解じゃないことは楽しい。
ベストな答えを出す。一番良い道を選ぼうとする。
仕事ではそんな感じだし、日常的な買い物でもそんな感じだろう。
ベストを選ぶ楽しさはある。
でも、効率的じゃないことには、また別のたのしさがある。
すきにやるから楽しいってこと。
家庭菜園だからできることがありますねと思う。
いいことをしている気持ちはあまりなく、ズッコケでちょうどいいって気持ちがあった。
体を動かしてスッキリするのは、着実に進むから
いつもデスクワークで運動不足だから、体を動かすとスッキリする。
そして、体を動かした分だけ結果が出るってのが良い。
家事でも同じように思う。
デスクワークは10時間がんばっても、間違ったがんばりをすると何も残らないことがある。
だから着実に進んで、結果が目に見える作業は良い。
スッキリ太郞である。
大人は選べるからたのしい
僕の家は兼業農家だった。
小学生のころは家の手伝いで、苗のケース洗いや、稲刈りをしたことがある。
ちょびっとだけど。
これは大変な思い出として残っている。
友達と遊びたいのに遊べなくて、手伝いしなくちゃならない思い出として残っている。
今は、自分で選んで畑をやっているからたのしいんだと思う。
やってることは同じだったとしても。
ちなみに、このときは「たべごと写真」を始めるつもりはなかった。
日常的に写真を撮っていたので、こういう写真が残っている。
そんなわけで「選ぶことはたのしい」という話。
次は「1年目の畑」のことをサクサクと書いていこうと思う。