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新品じゃない道具がうれしい秋

実家の田んぼで10年ぶりに稲作り


田舎うまれで長男の僕には、田んぼ全てを
耕作放棄地にした経緯がある。
こどもの頃に手伝った、どじょうのいる水田はもう無い。

しょうがない、と思う。
乾いた気分でキッパリとそう言える。

だから田んぼを復活させることに特別な思い入れはなかった。

たまたま復活しちゃうなら、そうしよ〜。
そのくらいの気持ち。

でも、実際に田んぼが復活して、稲穂が実り
おじいちゃんが使っていた道具で「はざがけ」すると
さわやかな気持ちになる。
風をふっふ〜♪って感じた。

「たまたま」ってのが良かったんだと思う。

おじいちゃんは言っていた。
良い事をしようとする目的が先にあるよりも
目の前にある機会を大切にする方がいいと。

たまたま、偶然、ご縁で、機縁で。

あ〜、なんか気づいたらお米できてたね〜
という、ほどほどの湯加減で1年目の秋を迎えた。

もはや思い出。(書いてるの2016年だからね。)

本当に収穫できちゃったんだなぁ。

2014年10〜12月のことを2016年に書いてます


ほ、穂が付いたで〜!

ほ、穂が付いたで〜!

なんせ10年ぶりだったから、米作り。

この田んぼで、お米を収穫できるのかな〜っ。
全部だめになっても仕方ないかもね〜。

ってくらいの気持ちでいた。
苗床を作り、田植えして、草刈りをする。

そしたら収穫できちゃった。
田んぼは、10年休んでいても「オレ田んぼだからね」
と覚えているのかもしんない。


なんか知らんが子は育つ!

なんか知らんが子は育つ!


ちいさなはざがけを作る


おじいちゃんが使っていた「はざがけ」の道具を使う。
木を地面に打ち付けて、稲を干せるように組み立てた。

新品じゃない道具がうれしい。

はざがけの道具は実家の軽トラで運ぶ。
僕の軽自動車では運べないから
仕方なく超久しぶりにミッションの車に乗るのだ。
20回くらいエンストをしながらね〜♪

僕のマニュアル免許証、これ・・・もう飾りだよ!
オートマじゃないと無理!
思いながらね〜♪
(自動車学校で仮免とるのに17回くらい落ちた猛者ゆえ)


こんだけ作るのが・・・限界でした!

こんだけ作るのに50時間かかってます


親がなんか燃やしていた・・・天気よかったもんな。

親がなんか燃やしていた・・・天気よかったもんな。


回るイセ号!

回るイセ号!


そう!イセ号は脱穀機なのだった!

そう!イセ号は脱穀機なのだった!


畑もちゃんとやった


あ、今みると・・・今年の大根よりも大きく育ってるような。
ありゃりゃ。

サツマイモは大量の虫たちに葉を食べられて失敗しちゃったから
次の年はやらなかったのだった。


こんな細くても、おいしくいただきました!

こんな細くても、おいしくいただきました!



悲しいね、サツマイモ

悲しいね、サツマイモ



種採りポッピンアイ!

種採りポッピンアイ!



なんか、けっこう育ってる・・・今年よりも

なんか、けっこう育ってたじゃん! 今年より良いじゃん??


投稿者名 すずきカレー 投稿日時 2016年01月23日 | Permalink

なにかしらの答えが出る夏

1年目の夏の畑は「収穫」という最初の答えが出る期間。
2014年7月〜9月後半までのこと。


初夏の草の勢いも初体験


ちいさな場所で、おおきなスッキリ


家庭菜園の「収穫できた」「虫に食べられた」という答えは
めっちゃ納得感があるところが好きだ。
自分たちだけでやっているから誰かのせいにできないのが良い。
気候も虫も土地も「人が合わせる」ものだから「自分が正しいのにプンスカ!」と、怒ることができないのも良い。

小さい場所だから自分たちだけで関わることができる。
最初から「自分が合わせて応じる」って姿勢で取り組める。
そういう環境っていいよね、と思う。


1株しか育てないという失敗をしたズッキーニ


落花生はやせ地の救世主と聞いて


オクラめっちゃできた

夏は一般的な話じゃなくて、自分がいる菜園の答えが分かる。
収穫できる野菜が増えてくるし、育たない野菜が何かも分かるから。

例えば、豆は酸性の土地(やせた土地)でも育ちやすいと
一般的にはいわれるけど、実際には虫が食べちゃった。

ほかにも、きゅうりは痩せた土地では育ちづらいと言われるけど
やってみたら育っちゃった。

・・・という感じだ。


育つ前が虫にたべられやすい


収穫できなかった茄子


ミニトマトはできたが、大玉はやっぱり無理


この年キュウリは不作だったようだけど、うちはよくできた


たべることがフェス状態


突然だけど、ロックフェスは楽しい。
フェスの2週間前からそわそわして、毎日の楽しみになる。

そういう感じで、初めての収穫はちょっとしたフェス状態だった。
だって、枝豆が実るのだもの。
それを眺めて「あ〜、来週は収穫できるかな〜。」と待ちわびながら過ごすのだもの。


ふくらむのを待つのもよき時間かな


塩ゆでしたとき、めっちゃ脳内物質が出た気がする

ふつうに毎日のなかに「待ちわびる楽しさ」があるだけで、人は快便になれる。
そう、快便っていいよね。
快便になれなくても、なにか気持ち的には快便状態になっていると思う。
こころのお通じがよくなる。
そんな感じだ。

食べるその日も楽しく、収穫を迎えるまでも楽しい。
そして種を採れば、楽しさは来年へつづく。


種は、ノリで固定種を買いました


こんな感じの8月


草に圧倒される


自然農のあつまりで富山へ。


富山にも行った。
自然農をやっている石黒さんちを見学したり、いろいろな話を聞いて楽しかった。


田畑には山をのぼって行く


水のきれいさが印象的

夏はにぎやかに、びゅーっと過ぎていった。
次は1年目の畑の秋のことを書こう。


投稿者名 すずきカレー 投稿日時 2015年09月19日 | Permalink

畑に自分が行って、さわって観ること

1年目の春の畑では「虫の本気を感じたこと」が大きな手ごたえだった。
2014年3月〜6月後半までのことをババーッといこう。


草も生えない畝が4月にはこんなふうになった


芽が出るだけでもうれしいのに


僕と妻は、自然農のやりかたで畑を始めた。
無肥料で無農薬。
いちど畝を作ったら耕すこともしない。

僕自身は、自然農で最初から収穫するのは難しいかもと思っていた。
採れなくても別にいっか!と。

畝を作った記事で書いたとおり、効率的じゃなくてもいいと思っていたから。
むしろ、効率的じゃないやり方が「どうなるんだろう?」っていうワクワクした気持ちを生んでいた気がする。
もともと収穫の期待はしていなかったから、芽が出るだけでもうれしかった。


朝、ポットに芽が出ただけでうれしい


ジャガイモの成長に期待していなかったはずの収穫が現実的に


カブ、大根、ニンジンは全て虫に食べられた


ウリハムシモドキの幼虫だと思う


ジャガイモは小さいながらも、ほとんど順調だった


妻のおかげでイチゴも収穫できた


芽が出てるって瞬間にキラキラした物質が脳内を巡る感じがする


ズッキーニもやったが収穫はゼロだった


実際は収穫もできちゃった


期待していなかった分、収穫できたときは嬉しかった。
口では「ジャガイモめっちゃ採るで〜っ!Hoo!」って言ってたかもしれないけど
心には「ま、1年目だし、採れなくてもOKよ〜ん!」という気持ちもあった。

収穫できない野菜も多かったけど、本当に芽が出るだけで嬉しかったので気落ちはしなかった。
ニンジン、大根、カブの全滅は悲しかった。
でも、一方で「虫の容赦なさ」というすごみを感じられて楽しい面もあった。
虫のすごみも、また良し。
この手ごたえ、がっぷりよつ。
そういう楽しさもある。


6月の最後に初のジャガイモ収穫


別の場所にある畑でも野菜を育てた


この小松菜は全て虫に食べられたが、ウリハムシモドキは出なかった


畑にいられる時間はどのくらいか?


「とりあえず種をまいたけど、見に行けない」という状況によくなっていた。
それで育ってくれたら良いという考え方もある。
でも、順調に育っていようが、虫に食べられていようが
畑に行って見てみることが家庭菜園の楽しさだと思う。

なので、最大の反省は
「観られる量だけ、ちゃんと観られるようにしよう」
ってことだ。

虫たちのレストラン状態で収穫できないことは良いけど
自分が畑に十分に行けないことは注意しようって思う。
それで次からはなるべく1つの畑でやろうと思ったのだった。


2014年春のズッコケまとめ


  • 春のウリハムシモドキ(幼虫)はあきらめよう!野菜全滅しても気にしない!
  • ズッキーニは多めに、大きくなるように植えよう!
  • 畑の面倒をみられる時間と、作る量を考えよう

虫は、場所によって出たり出なかったりする


年によっても違うけど、基本的な対応は「あきらめ」だ。
虫を手で捕って殺すことはあるけれど、全滅するくらいに虫が出るときは
土や周囲の環境が「虫が出ちゃう状況」なんだと諦めようと思った。
別の畑では1年目でもニンジンが全滅することもなかった。

むしろ「その時その場に合った野菜がなにかを虫が教えてくれてる」ってくらいに考えるとスッキリした。


ズッキーニは大きくなればOK


自然な畑の場合、受粉は虫たちがやってくれる。
朝、畑に行くと必ず蜂が花粉を身にまとっている。
だから、人の手でズッキーニを受粉させなくてもいい。

でも、ズッキーニは大きくならないと雌花が咲かないようなので
「ちゃんと成長できるようにすること」には注意する。
例えば小さな畝や、育つのに適していない畝だと雄花しかできないことがある。
定植のタイミングが遅くなるのも注意だ。


赤目自然農塾へも行った


赤目の段々


赤目にはアートっぽい畑もある

ここまでが1年目の春。
どういうことも始まりは心がはずむのかもしれない。
次は夏の畑を書こうと思う。


投稿者名 すずきカレー 投稿日時 2015年09月13日 | Permalink

すきなやり方は、正しくなくても良い

2014年の3月初旬。実家で畑を始めた。


土地はもともと田んぼで、平らだった。
ここをスコップで掘り、畝をつくるところから畑のスタートになる。


すきなやり方は効率的じゃなくてもいい


畝をつくるとき、すきなものを作ろうと思っていた。
ジャガイモとか、サツマイモとか。
自分で選ぶことは、畑に限らずたのしい気持ちになる。

効率的じゃないのも良かった。
機械をつかわないで、スコップだけで畝を作る。

最適解じゃないことは楽しい。
ベストな答えを出す。一番良い道を選ぼうとする。
仕事ではそんな感じだし、日常的な買い物でもそんな感じだろう。
ベストを選ぶ楽しさはある。
でも、効率的じゃないことには、また別のたのしさがある。

すきにやるから楽しいってこと。
家庭菜園だからできることがありますねと思う。
いいことをしている気持ちはあまりなく、ズッコケでちょうどいいって気持ちがあった。


スギナを抜きすぎた反省


こういう、玉になる感じの土で、あまり虫がいなかった。


冬の寒い空だった。


体を動かしてスッキリするのは、着実に進むから


いつもデスクワークで運動不足だから、体を動かすとスッキリする。
そして、体を動かした分だけ結果が出るってのが良い。
家事でも同じように思う。
デスクワークは10時間がんばっても、間違ったがんばりをすると何も残らないことがある。
だから着実に進んで、結果が目に見える作業は良い。
スッキリ太郞である。


土がむき出しにならないよう、畝に草をかける



大人は選べるからたのしい


僕の家は兼業農家だった。
小学生のころは家の手伝いで、苗のケース洗いや、稲刈りをしたことがある。
ちょびっとだけど。

これは大変な思い出として残っている。
友達と遊びたいのに遊べなくて、手伝いしなくちゃならない思い出として残っている。

今は、自分で選んで畑をやっているからたのしいんだと思う。
やってることは同じだったとしても。


ここからプラス4列。たしか2,3日かけて畝を作った


帰りにヨモギを採った

ちなみに、このときは「たべごと写真」を始めるつもりはなかった。
日常的に写真を撮っていたので、こういう写真が残っている。

そんなわけで「選ぶことはたのしい」という話。
次は「1年目の畑」のことをサクサクと書いていこうと思う。


投稿者名 すずきカレー 投稿日時 2015年09月13日 | Permalink